ユニクロが成長した軌跡を書いていきます!
元々、1963年に設立された小郡商事という紳士服のお店でした。
そこから、少しずつ売り上げを伸ばしていました。
しかし、1970年代にショッピングセンターが続々と開業した影響を受け、存亡の危機に陥りました。
ですが、ここで強かったのは新しい活路を見出したことでした。それは海外調達という戦略です。
まだこの当時、アパレル業界でグローバル調達するということは考えられなかったので、前代未聞の策でした。
この事業拡大の仕方と先進さが今のユニクロを作っていると考えられます。
ちなみにこの時、ユニクロの社名が小郡商事から現在のファーストリテイリングに変わりました。
ファーストリテイリングとは、「早い小売り」という意味で、お客様の要望を素早くキャッチし、商品化し、店頭で販売するという気持ちが込められています。
ここに、社長の「カジュアルな物を安く売りたい」という思いが込められています。
ここからはどんどん事業展開をしていき、1994年には国内直営店が100店舗を突破しました。
そして、1998年に原宿への進出を果たします。そこで、ユニクロの商品は「安くて品質が良い」という評判を受け人気が大幅に上昇しました。
代表は、この時のポイントを①商品を絞り込んだこと、②良質な商品を1900円、という手ごろな価格にしたこと、③そして、新鮮味のある広告宣伝をしたこと、の3つの要因と振り返っています。
そして2000年には、売上高2289億円、営業利益606億円、営業利益率26%を達成し、アパレル業界では驚異的な水準を記録しました。
2000年以降は、海外展開を中心に今でも発展し続けています。
しかし、展開し続けているユニクロですが、2000年以降でも、今のように多くの人にウケたわけではありませんでした。
というのも、ユニクロは「安くて品質が良い」をコンセプトにしていたので、オシャレという観点では微妙だったのです。
だから、家で着るのに丁度良いという位置づけでした。
大きく変化したのは、2015年辺りからです。その変化の根本は、ユニクロの地道な企業努力にありました。
ユニクロは自社がダメ出しされている記事をずっと読み、研究し続けたようです。そして、今となってはダメ出しできる商品が無くなるまでになりました。
また、ユニクロの企業努力として見られるのは、一見して同じようでも毎年同じ商品を出していないことです。わずかに身幅や肩幅を変えたり、着心地がなるべく良くなるように追求されています。
このような企業努力を経て、今のユニクロの地位が確立されています。
今は、たくさん生産しているので、高級素材を使っているのに安い。そのため、老若男女誰にでもウケるデザインになっている。
社長がファーストリテイリング創設当初から思っていた「カジュアルな物を安く売りたい」という思いが形になっています。
時代の変化と共に変化したユニクロの成長の経緯でした。
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Twitter→@38matsuda
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